これからの人生のためのメモ56

 よくわかりました。私はトラウマを抱えていて、そこから抜け出せていないんです。今日、みなさんの前で喋る時、私はいつもに比べて数倍、緊張していました。うまくいかないんじゃないかな。話が噛み合わなかったらどうしよう。質問責めにされるんじゃないかな。怒られたらどうしようそんなことばかり考えていました。普段みなさんの前で喋る時、そんなことはあまり考えないのに、私は皆の反応のことばかり気にしていました。なぜか。いつもと違ったのは、そこに京佳さんがいたからです。私が「怒られたらどうしよう」と思った時、その主語は京佳さんだった、そのことに気づいたのです。会が終わったあと、夏実さんと話していて気づいたことです。

 私は京佳さんの動きをずっと気にしていました。京佳さんが、以前の私の上司だった前田さんと良く似ているように感じられたからです。前田さんは、私より15歳くらいの女性で、ずっと現場一筋でやってこられたような方で、その界隈では名の知れた方でした。京佳さんと前田さんの属性がそっくりで、私は重ね合わせてしまったのだと思います。私は、社会人になってから最初の3年間、前田さんに怒鳴られ続けていました。もちろん私もたくさんミスをして、時には前田さんの仕事を潰してしまうこともあったからなのですが。とにかく怒鳴られました。時には狭い部屋に連れて行かれ、30分から1時間、自分のことについて。あるいは公衆の面前で。すべて私の未熟さのせいでした。とにかくあの3年間というのは死んでも戻りたくない、そんな毎日でした。

 忘れられないことがあります。社会人2年目のある日、前田さんに例のように狭い部屋に連れていかれひとしきり怒鳴られたあと、一冊の本を渡されました。「ASDの同僚との付き合い方」というタイトルでした。「お前はASDだ。これを読んで勉強しろ」と怒鳴られました。本を開いたら、「向いていない職業」のところにマーカーが引かれていました。そのときやっていた仕事でした。もう一人、私の同僚だった竹下さんという方は、私より後に入ってきた方でしたが私より10歳くらい年上の女性でした。この竹下さんは私と一緒に行動することが多かったのですが、とにかく私のやることなすこと全てに指摘をされる方で、「なんでそんなことも分からないんですか?」と私はよく言われていました。竹下さんは私の行動を全て前田さんに共有しており、前田さんからはそのことも併せて怒鳴られていました。「竹下にこの本を持って、自分のせいで迷惑をかけていると謝ってこい」「謝ったら報告をしに来い」。そう言われた私は、訳もわからず、その通りに謝りに行きました。竹下さんからは、「私もその本を書店で見かけました。あなたのことだと思いました」と一言伝えられました。ことの顛末を前田さんに報告すると、「これからどうやって仕事をしていくのか、本を読んで全てまとめて報告しに来い」と言われ、私はその通りにしました。

 突発的な行動や、急な予定変更が苦手。細かく具体的な指示がないと動けない。他人の感情を慮って行動することが難しい。書籍にはそんなことが書いてありました。これは10年経ってやっと受け入れられてきたことですが、私が前田さんから怒鳴られた日々のことはさておいて、私自身がASDの傾向があるのは確かなのではないかと最近は思っています。30代半ばになって、私は自分自身のコミュニケーションの傾向をある程度客観的に見られるようになってきたなと感じていて、例えば目を合わせるということが私は極端に苦手だったり、自分一人の時間にいつまでも没頭してしまうことがよくあったりします。そしてその没頭を、とくに誰かと共有したいとは感じていないのです。少し前まではそうした自分の傾向に気づくことすらありませんでした。いわゆる「一般的なコミュニケーション」について学べば学ぶほど自分はそこから逸れていて、学んだこともあってか、最近は自分と世界が繋がっていないような感覚によく陥ります。

 幸いにしてというべきか私は結婚することができましたが、妻からは「何を考えているかわからない時がある」と言われることがあります。その逆で、私が妻の考えていることがわからない、あるいは共感することができない、と感じることも度々あります。「カサンドラ症候群」という言葉がありますが、妻にそんな思いをさせているのではないか、と悩むことが最近は多いです。その度に、自分はなんてダメなのだろう、なぜ人と上手に関わることができないのだろう、このままでは妻を不幸にさせてしまうだけだ、そう言わせてしまう前に離婚しよう、もうダメだ、と考えてしまいます。子どもも持ってはいけないのではないか、とか。

 話が逸れましたが、私はその前田さんとの日々を3年、竹下さんとの日々を2年過ごしました。多分、私が今日いつもの数倍緊張してしまったのは、その日々のせいなのではないかと感じています。夏実さんが平気なのは、夏実さんがいつもご自身の感情を言葉にしてくださることと、仕事の話をするときに必ず論理的に組み立ててくださっていて、必ずそこに立ち返って行動されているからだと思います。つまり、私が何かを慮る必要が無いのです。慮らなければならないとき、私は強烈なストレスを感じてしまい、よく沈黙してしまうのですが、夏実さんとはそうならないような気がします。今のところは、ですが。ただ私はこれに気づいたときに困ってしまいました。私は同じような緊張の感覚を、社長にも持っているからです。ずっと、「偉いから緊張するんだ」だと思っていたのですが、どうやらそうではないんじゃないかと。であれば夏実さんと話す時も緊張するのです。「偉い10歳以上年上の、現場をバリバリやってこられた女性」に対するトラウマが強くて、夏実さんぐらいには表象的にまとめていただけないと、おそらく自分は動けないのだと思っています。幸いにして私はこの数年それなりに楽しく過ごすことができて、何か大きな壁に当たることもなかったように思うのですが、特にここ半年はとてもストレスの溜まる日々でした。幸運にも成果を上げることができ、昇進を重ね社長とのコミュニケーションが増えてきたことで、私は最近、強烈なストレスを感じる場面が相当に増えているのだと思っています。何せここ最近は食べる量のコントロールや生活リズムの調節に長く難儀しており、ずっと不調なんです。とっても太ってしまいましたし。その理由をああでもないこうでもないとお伝えしてしまったので迷惑をかけてしまったのですが、それは多分自分でもストレスの正体が分からなくて、探してしまっていたのだと思います。

 こうして考えていくと、私の中には少なくともあと2つの大きなトラウマが残っていることに気付かされます。1つは中学生の頃のいじめの記憶、もう1つは幼少期の母との記憶です。前田さんとの日々の記憶に比べればずいぶん消化されてきたと感じますが、やはりある特定のシチュエーションにおいて、自分の話したいことがうまく話せなくなったり、自分を守らなければならないと無意識に感じてしまっているのだろう、と思うことがあります。だろう、というのは、その時は自分がそのように感じているとは思っておらず、後になって振り返ると「そうだったのでは」と感じるのです。今はそういったことはしなくなりましたが、虚言癖のような状態に陥っていたこともあります。自分を守るためだったのだと思います。

 これほどトラウマが残っている状態、これもまたASDの影響なのだと思います。これももちろん自己分析に過ぎませんから、近いうちにお医者さんにかかろうと思っています。ある精神科医の方が、ASD症状の児童においては過去の体験の記憶が日を追うごとに薄れるということはなく、むしろ何度も追体験するかのように感じてしまいどんどん感情が濃密になっていく傾向がある、と書かれている本を読んだことがあります。その方はタイムスリップと呼んでいるそうですが、私はこのタイムスリップにはとても思い当たるところがあるのです。そういえば、私の知り合いで学校の先生をされている方が、「自閉症の子は数年前の出来事をとても鮮明に覚えていて、昨日あったかのように突然話し出す」と言っていたことがありましたが、自分もひょっとしたらそういうところがあるんじゃ無いかと思っています。こういう話を他の方にすると、「みんなそんなもんだ」とあしらわれてしまいます。私もそうであってほしいと思います。でも、私のような状態に陥っている方を客観的に私は見たことがありませんし、そのようにご自身を語られる方に私は会ったことがありません。

 私のこういった極めて個人的なことが原因で、特にここ半年たくさんの方にご迷惑をおかけしていて、業務に支障が生じているということを、私はよく理解しているつもりです。それもあって、今まで向き合いたくもなかった自分のさまざまな歴史や癖に、自分なりに向き合おうとしています。ですが、私はこのことがとても苦痛で、正直続けていける自信は全くありません。こうやって話すことすら、まるで自分が異物であることを再確認させられるような、自分が世界と繋がれないことを再確認させられるような、そんな感覚なのです。それが続く日々に私は耐えられる自信が無いのです。それに、少なくとも今の私はこれを乗り越えるためにそれなりの時間が必要だと感じています。私はいろいろな経験を通して、例えば10年をかけて歪んできたものは、同じく10年かけてようやく元に戻るのだということを感じています。私はいったい、どれくらいの時間をかけてここまで歪むに至ったのか。そう考えると極めて気が遠くなるようにも感じています。これ以上ご迷惑をおかけしたく無いと感じています。

 正直、いろんなものを憎んでしまう気持ちが芽生えます。私はなぜこうなってしまったんだろう。なぜ誰も、こんな私のことに気づいてくれなかったのだろう。分かっています、そんな気持ちに意味などないということは。考えたって仕方がないということもよく分かるのです。でも、そう思わずにはいられない自分もいるのです。そして、そんな自分を私は認めることができません。「自己肯定感が低い」とよく言われます。あまりにファッショナブルに使われているので実際どうなのかというのは全く分かりませんが、私の自己肯定感は相対的にみてもだいぶ低い方だと自負しています。どんな自分も認められない感覚があります。

 世の中には、「発達障害にはまず立ち入れない領域」というものが存在していると私は感じています。私がASD的な自分のことを受け止められず今日まで来てしまったのは、ある種の自分の「可能性」というものを試してみたかったからです。自分でどこまでやれるのか。どこまでが限界なのか。叶うことなら、なんのレッテルも貼られていない状態で。10年やってみて、ここが限界値なのかなと、今私は感じています。こうした私の考え方に対して、「求めよ、さらば与えられん」的な説教を垂れてくる方もいらっしゃいますが、それは嘘だと思っています。同時に私は、トラウマ的な体験もあってか人のことを信頼することに難しさも感じています。

 よくここまで来ることができたな、と自分でも驚いています。たくさんのハンディキャップを背負って、こんなに一生懸命頑張ったのだから。もう、全てを受け入れて、あるべき場所に戻るべきなのかもしれません。あるべき場所がどこなのかは、分かりませんが。これで多少なりとも数学の素養があればプログラマーとしてでも食べていけたのかもしれませんが、残念なことに私は数学の才能がありません。二次関数、確率あたりはどうにかなりましたが、数学Ⅱ・Bの世界はからっきしで、図形など全くもってダメでした。おそらく空間認知周りの能力にそれなりの欠陥があるのではないかと自己分析をしていますが、これもまた検査を受けてみるつもりです。いずれにしても、何かに浸るのも全部、検査を受けてみてからでも遅くはないのかもしれませんが。

 夏実さん、私はどうしたらいいと思いますか。