これからの人生のためのメモ10
世の中はすごいって思った。まっすぐな意味でもひねくれた意味でも。
いま、よくわかんない三段跳びばっかりやってるアプリに結構ハマっている。ただひたすら三段跳びして、距離の分だけお金が貯まって、貯まったお金でパーツを強くするとちょっとだけ遠くに飛べるようになって、また貯まって、っていうだけ。
単純明快極まりないくだらないアプリなんだけど、1日10回くらいは開いている気がする。
なんと有料サービス付きで、お金を払うと帽子がすごいハデなやつになったり広告が無くなったりするらしい。月に1600円。支払いもハデ。
10回開くと、大体20回ぐらいは跳んでいる。その度に、よくわかんない別のアプリの広告が差し込まれる。どう見てもパズドラとかモンストみたいなやつなんだけど、何回も見てると意外と面白いんじゃないかと思ったりしてしまう。
なんていうのかなあ、最近こういうの多いよね。数の暴力で攻めたおすみたいなやつ。奥ゆかしさのかけらもない。
とかいいながら、またアプリを開いているから、世の中はすごいと思うんだ。
行動経済学だったか何だったか忘れたけど、人間って驚くほど単純で、自分が不利だと分かってて不利な方に進んじゃうみたいな、そういうのがあるらしい。「今すぐ」って言葉に弱い。とか。期間限定、とか。
刺激的な言葉ほど人は乗せられやすくなる、というのは既に歴史がうんざりするくらい証明してくれている。「悪いことしたやつは死んだ後で地獄に落ちる」とかね。「3日で復活した」とか。
最近も、「いかがでしたか?」ばっかりのブログ記事とか、Youtubeの急上昇動画とか見ると、歴史って間違ってないし、繰り返すんだなって思う。だからたぶん、戦争も近いうちに起きるんだろう。60年後くらいで勘弁してほしい。
おすすめユーザーに「人類最強のママフルエンサー」みたいな人がいっぱい出てくる。何がすごいと思ったって、俺がツイッター1年やったところでフォロワー10人とかなのに、初日でフォロワー300人とかそういうのが星の数ほどいること。
こういう人たちのインタビュー取りまくってルポにしたら結構面白いと思う。ねほりんぱほりんでやってくれないかな。インフルエンサー。
ああいう人たちって「お金」を強調しまくってると思うんだけどさ、「お金」の先に何かあるんだろうか。どいつもこいつも表に出す額がでかいんだよな。
ブログ始めたけど、じゃあこいつが仮に謎にバズって、超アクセスが増えて、アフィリエイトも始めて唐突にお金がじゃんじゃん入ってきたとして嬉しいかと言われれば、まあそりゃ嬉しいな。嬉しい。あれ?おかしいな。
要はそんなん副産物だしお金が目的になったらおしまいだよね、って言いたいんだけど、これでお金入ってきてそんな考えが微塵もなくなっちゃったらどうしよう。基本ぬるま湯人生、1回くらい地獄の淵見といたほうがいいのかもしんない。
時間だけはあるから思ったことをとりあえず書き溜めている。こうやっていろいろやれてるのも薬のおかげなのだろうか。
まあ、気楽にやろうよ。気楽にさ。
これからの人生のためのメモ9
世の中はすごい。
これからの人生のためのメモ8
「世の中をわかりやすく」って割りに分かりづらいと思った。
自分の考えてるようなことをやってる人って見つからない。ここが勝負のしどころなのか、あるいはまったく稼ぎにならないのかはよく分からない。
現在の自分のポジションではまだそれはできないので、それまでにどうにか文章力を身に着けたい。文章力というか、モノの書き方。
たくさん書こう、と思ったわりにあんまり書くこと出てこないな。とりあえず思ったのは、人に会うと自己否定タイムが始まってその後が地獄になるということと、生活リズムを戻そうにも昼間~夕方がしんどすぎてどうにもならないということ。原因は不明。それが原因なのではなくて、薬が関係しているのかもしれない、と今日通院して思った。
ポータルサイト化計画…
○日本史のコーナー
○その日のニュースを分かりやすくのコーナー
○音楽コーナー
○本コーナー
○コラムコーナー
○特集・連載コーナー
これからの人生のためのメモ7
記事を書こうと思って「健康で文化的な最低限度の生活」を読んでいたら、今の自分と向き合うハメになった。嫌ではないけど、想定外だったという意味で。
マンガに出てくるような「『普通』じゃない人」に、ここまで5年ちょっとでたくさん会ってきて、そんな人たちのためにどんなことができるだろう、そんな人たちが目標を持てるようになるために、そんな人たちが曲がりなりにも「ちゃんと」やっていけるようにって、そんなことを考えてやってきたような気がする。特に去年はその傾向が強くて、そんなやつらばっかりだった。
今年度それを全部、正確には9割がたくらいと言ったらいいのだろうか、手放すことになった。理由は今も結局よくわからない。昨年度の最後の方は終われ終われと毎日念じるくらい辛い日々だったけど、最後までやり切りたかった。今こうやって離れたところから見ていると、やつらのことが気になってしょうがない。でも、手を出せない。
「パンクした」という表現が自分なりにふさわしいと思って使っていたけど、「燃え尽きた」というのもあったのかもしれないな、と思った。ハッキリ言って今年度の配置は、何でもなかった。自分である必要性を感じる場面がどこにもなかった。今でもそう思う。「おれ、いなくても別にいけんじゃね?」って、何度思っただろうか。だから、こうなっちゃったのかもしれない。つくづく我が儘で、甘いやつだ。そういうときは視点を変えなければならないのだけど、そういう頭が持てなかった。がきんちょめ。でも、時間は経っていく。行動しなかった未来にはもう戻れない。
仕事に戻るべきなのだろうか。お金とか、そういうのは抜きにして。「責任」という言葉がちらつく。それが自分の、少なくとも残り9ヶ月を捧げるにふさわしいかどうか。なんていう見方をするくらいには自分本位だ。背負うものが何にもないから、まだそんながきんちょみたいな理屈を振りかざせる。こういうの、ある意味「無敵の人」というのかもしれない。
もちろん新しい出会いがこの先にもあるのだろう。昨年度、一昨年度以上の感覚に出会う瞬間もあるのだろう。だけれど、そうじゃない瞬間も必ず来る。そうなったときに、また今回みたいなことになるかもしれない。その時、選べる選択肢があるほど若くも無くなっているだろう。し、今回の行動によって、以前のような立ち位置も消えた。戻ったとして、恐らくは地獄のような9ヶ月の先に、何が待っているのだろう。
立ち返ろう。何のためにこの仕事をやっているのだ。誰のためにこの仕事をやってきたのだ。